■ | 1975年度スマッシング 「大学で」(当時C4) 出口 幸久(C51) |
1976年2月15日、今、卒論提出日を25日に控えて忙しいはずなのに、まだ下書きもせず、自分自身は妙にのんびりしている。スマッシングの原稿の題目を考えているが、なかなか良いものが思い浮かばないので、私の大学4年間について簡単に書いてみようと思う。 1年生の時、私は豊橋から大学まで片道2時間ちょっとの所を通ったものだ。その上、まじめにクラブをやっていたので、朝6時30分に家を出て、夜10時30分に帰るという日々が続いた。そこで残る大学3年間をまぁ楽しくかつ勉学に勤しむため、2年生になると下宿を決意。 ところが下宿先が悪かった。下宿先の住民が調子のいい先輩3人と、それに輪をかけて調子のいい小野、何かというとちょろちょろ顔を出したがる鈴木、この顔ぶれによって私が下宿した目的の半分が崩れるのは目に見えてあきらかである。しかし、残り半分の目的が倍増して達せられることもまた必然のこととなったのである。 下宿生活で身に付けたことといえば、強い麻雀、ねばるパチンコ、へたなギター、弱い囲碁、ちょっとへたなビリヤードとまぁ遊びばかりなのである。私自身の部屋が卓球部の雀荘になっていることもあるから、麻雀についていっておこう。実際、麻雀の後はすさまじく、タバコの吸殻や、空き缶でちらかりほうだいである。しかし、こんなことはかたずければすむことで、私にとってはいっこうに迷惑なことではない。なぜなら麻雀をすることによって得るものがあるからである。それは、小野であり、鈴木であり、紀藤であり、神谷であり、岩本であり、夏目である。私達4年生7人はみんななんとなく気が合う。私が大学4年間で得た友である。これは何もみんなで麻雀をよくやるからではない。2年間もしくは3年間、いやその年数には関係なくめいっぱい卓球をやった。卓球が好きだということ、それだけだと思う。麻雀は卓球部の井戸端なのである。麻雀をやって4年生どうしでつまらないことを話す時、私はなんとなくうれしい。これから人生何年かはわからないが、その人生を通しての友がそこにいるから。 ここで、後輩に一言、卓球部全員でできる卓球以外に井戸端、必ずしも麻雀でなくてもよいが、そういうものを1つもってほしいと思う。 思いつくままに書いてみると、下宿のことと卓球のことになってしまったところを見ると、やっぱり私の大学生活は下宿と卓球が中心になっていたのだろう。 後輩諸君、大学生活は勉強ばかりにあらず、わかってるね。 |