■ | 1976年 「雑感」(当時K4) 徳和目雅弘(K52) |
Fさん、お元気ですか?あのクラス会からはや4年が経ったのですね。今4度目の冬を迎えて卒業研究に励んでいます。卒業を3ヵ月後に控えた今日このごろ、いろいろな事が思い浮かんできます。その中でもとりわけ初めに浮かんでくる事といえば、やはり3部に落ちたままで卒業となったことです。2年生の秋季リーグ戦で私が全敗をしてそのままわが部も3部へと。恥かしかった、自分が情けなかった。特に入れ替え戦での中工大とのK君とトップで当たったあの試合、第1セットを取り、第2セットで19−16となり勝ちを意識して急にかたくなって逆転されたのがいまだ悔いが残ります。 その日、合宿打ち上げのコンパ、わが部がコーチしていたすみれ短大と市保育短大との3校合同であった。楽しいはずのコンパが一変し、これほどの苦いお酒はもう飲みたくないと心に誓ったものです。だけど、部長になった3年生の春秋リーグ戦では、春リーグ戦の最終日に優勝をかけて静大と当たったのですが、私がA君とあたりましてね。彼は三国丘の後輩だし、こちらはこの春で即2部に復帰するのだと意気込んでいましたのでね、特に彼には意地でも負けたくない(この気持ちがどれほどのものか君にはわかってもらえるでしょう)と頑張ったのですが、セットオールの18で負けてしまいました。それから次の秋も(3部優勝したが)入れ替え戦で静大に負けまして、結局すべて静大に打ちのめされたという感じです。 4年生になってからは試合に出ずで、応援として見に行きましたが、春秋ともに去年と同じく惜しいところで敗れ、2位どまりで3部残留となった訳です。私が4年生で試合に出なかったことが不思議に思うでしょうね。私自身もよく考えて納得していたつもりであったのですがね。今になって思うと、責任を最後まで果たさずにしりぞいた自分はやはり無責任なのでさろうかという後悔の念と、あれでよかったのだという自己弁明のような気持ちが交差してきています。君からすれば、私も変わったと思うでしょう。何も悩まずワンマンで通った高校のクラブ、それが高校生活であったのに比べ、いろいろな事を考え悩んだ大学のクラブや生活。いままではこれで良いのだ、成長しつつあるからだろうなんてね思っていたものが、この頃になって結局邪念に過ぎなかったのではないだろうかと思うようになってきました。勉強、クラブ、そして遊び(??)にすべて中途半端に終わったのではないだろうかとね。だめですねぇ、理屈ばかりをこね回しすぎたのですね。今思いますよ、何事も理屈をこね回す前に行動だと。わが部の先輩はそれを身を持って示していてくれたのに、遅すぎるのですね、私は。 他に思い浮かんでくるもの、いろいろありますが、よい経験になったものばかりです。クラブのマネージャ、下宿生活、そして恋。一度会ってゆっくり話がしたいものですね。来年夏の高校のOB会には出席できそうです。君との再会を楽しみにペンを置きます。 昭和51年12月26日 |