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1979年「巻頭言」  杉本光毅監督

 工大の卓球を語る時、私には昭和39年の秋を忘れることはできない。

 残暑厳しい9月の上旬であった。この年、秋のリーグ戦は岐阜にその精鋭10数校が集い、東海の覇を競ったのである。

 3日間に渡る大会の第1日目が終わった時、工大は2勝0敗を堅持するも、勝負はこれからの印象を残していた。私はこのとき愛知教育大技術科に学ぶ18歳、教育大唯一の1年生レギュラーとして出場していた。

 我がチームは、目前に迫る工大戦に備え、疲労をおしての深夜に及ぶ延々3時間もの対策に激論を交わしていた。この中には、藤原、高木、松原、松本らの今は懐かしい工大名選手の一挙一動、ジャンケンの癖に至るまでが真剣に検討されたのである。先輩たちの動揺する顔から、大学の大会にまだ日の浅い私にもそれが劣勢の立場にあることは充分すぎるほど伝わってきた。

 大会2日目、昨夜の心配が現実のものになった。右のエース高木はともかく、左のエース藤原にあてるオーダが試合開始直前に至る最後まで決まらなかったのである。オーダの迷いは最も左ききを苦手とする我がチームのエースと藤原選手があたることになり、4−4のあと最終試合フルセットの末に19−21で敗れるという結果を招いた。勝負の世界は誠に厳しく、我がチームには後悔の思いが漂うのみならず、2勝2敗の優勝戦線脱落は選手にとって大きな失望のみを残したことを記憶する。

 一方、実力にほとんど差のない混戦を大接戦の末に抜け出た工大チームの自信は大きくふくらみ、とどまるところをしらずして勝利を重ねた。工大旋風吹きまくる感じとなり、大会3日目の午前中にして工大は2部優勝を決める。

 その日の午後、1部との入れ替え戦。ここには現在までをも含め私のみた最強の工大があった。キャプテン松原の応援するしわがれ声が、汗が、その顔中にあった。汗だくのユニフォームに一丸となって続く選手、その背中でにじむゼッケンの文字には工大卓球史上不滅の記録を記す一瞬がそこにあったのである。

 コートを挟んで終了の挨拶に整列する選手、まっすぐ前に向く視線の向こうには何が去来したのだろうか。苦しかった練習の日々か、学問両立の困難か。それは感激に震え、彼らの頬につたうとめどない汗と、こらえようとする涙がすべてを私に教えた。会場を背に夕闇の岐路に向かう彼らの背中に、互いの青春をかけ、力の限りを尽くして競った一人の選手として私は心からその健闘に拍手を送っていたのがつい昨日のことにも思える。

 工大卓球部の伝統、それは先輩一人一人が数々の悪戦苦闘を乗り越えて我々に残してくれた唯一のもの。今はりっぱな社会人として、寸暇を惜しみ活躍されるも、ふと遠い青春の一日に思いをめぐらせば、我々の活躍にどれほど大きな期待を寄せられることか。

 諸君の堂々たる健闘を切望してここに一文を送るものである。 

 



2部優勝を目標に練習していた現役当時、約20年前に優勝された話である、この巻頭言を幾度か読み直し、励みにしてました。ジャンケンの癖に至るまでマークしなければいけなかった藤原、高木、松本先輩にお目にかかりたいと長く思っていましたが、昨年のOB会で藤原さんにお会いできて(米沢さん同様)嬉しかったです。