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1979年「名工大の思い出」(OBとして寄稿)  米沢哲郎(Es47)

 卓球をやり始めて18年(1979年当時)になろうとしている。なんと言っても試合場で若い連中と思い切りプレーするのは、たとえ負けても楽しい。ひたむきな彼らの姿を見ているとすがすがしく感じる。

 そして、うれしく思うことはこの私も名工大の時代にこんなときがあった。いや大げさに言えば2部へあがろうと必死に頑張っていた一時期は、他に何も頭になかった様に思う。思い出すのも卓球のことばかりであるが、「かけがえのない時」だった様に思う。

 当時3部(1969〜70)では、1位愛教大、2位名工大、そして岐経大が優勝候補で伯仲していた。私は8シングル1ダブルのうち、頭2試合とダブルスの計3試合出ていたので、責任大であった。

 私が2年の時1度目のチャンスが訪れた。愛教大との一戦はついに4−4になった。最後に出て行った私は緊張感が裏目に出て、相手はカットマンの花房選手だったのに、逆に打たれて負ける有様だった。このため名工大の2部昇進の夢は翌年まで持ち越されることになった。あの頃は私は本当によく大事な所でカットマンに負けた。この後しばらく、私はいろんな事を考えては自分に腹が立って、また悲しくてしようがなかった。

 その直後にキャプテンになり、春のリーグ戦に向けて、皆、気を取り直し一丸となって頑張った。春休みもよく練習した。あの頃は本当に充実していた。

 3年の春のリーグ戦は刈谷の体育館で開かれた。名工大と岐経大の試合は非常に注目を集めた一戦であったが、前の日からの長時間のミーティングをして臨み、接戦の末、ついに打ち破った。あの一戦一戦は今でも目に焼き付いている。

 結局勢いづいて愛教大にも勝ったが、私自身はやっと花房選手に雪辱出来た。

 一週間後の名古屋学院との入れ替え戦で、当時4年生の沼野さんが、最後の1本を決め、ついに念願の2部昇進の夢がかなった。嵐の様な歓喜と興奮の日々が過ぎた。

 それから数日たってある天気の良い日だった。下宿から出て行く時、ふと一通の手紙が届いているのに気がついた。2年先輩でマネージャをしていて、東京に就職された小野さんからだった。歩きながら太陽の光の中でそれを読んだ。

「2部昇格、おめでとう。目頭が熱くなった。」そして「本当によくやった」と何度も書かれていた。

私は自分が名工大の卓球部の中で、まぎれもなく何かやったんだということを思わず感じて、

涙がとまらなかった。

 あの頃、自分を支えてくれた皆に感謝したく、青春時代の感激を大事にして、また、もちろん名工大卓球部のますますの発展を祈りつつ、頑張っていこうと思います。



大事なところの自分の敗戦でチームが負けた後、キャプテンを引き継ぎ頑張り、ついに果たした2部昇格を、身近な先輩OBの人が本当に喜んでくれた。私も3部を経験してますので、手紙を読んでいる米沢さん、手紙を書いた小野さんに、自分がおもわずなりきってしまい、読む度に、目頭が熱くなります。