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1982年 「Let's Try」(当時Es2)  加藤真治(Es60)

 僕が卓球を始めたのは中学の時、僕はこの時ひどい病気にかかった。ラケットをかぶせすぎて球がネットを越えないというのである。その時、卓球をやめたくてしょうがありませんでした。しかし、自分に負けてたまるものかと続けた。そして、3年になってまともになったのです。でも、その時は既に遅くよい成績など残せませんでした。僕の中は、「今後も卓球を続けてどこまでやれるか試してみよう」という気持ちと「こんな鈍くさい人間はやめてしまえ。」という気持ちが入り混じっていました。
 こんな気持ちで高校に入学しました。僕は卓球部に入るのはやめました。あっという間に高校3年間は過ぎ名古屋工業大学に入学することになったのです。入学してすぐ卓球部に入部しました。最初、先輩の練習しているのを見ると誰も彼もうまく見えました。僕はといえば、ショートは続かず、V字フットワークは続かずと言う有様で入部したことを後悔していました。しかし、せっかく入部したのだからうまくなろうと言う気持ちも心の片隅には在ったのです。

 何故、僕は強くなれないのか?それは、フットワークが悪く、3球目攻撃が遅く、レシーブが下手で、ドライブに威力が無かったからでした。秋から冬の間、鈴木さんに言われたこともあり、ランダムのフットワークと3球目の2つだけを練習した。その成果が現れたのは、三校対抗の時でした。Bチームではありましたが、三重大の選手に勝てたのです。この時の喜びはひとしおでした。

 そしてリーグ戦に出れるチャンスを手に入れました。僕の出たのは名市大戦で西畑選手とでした。この試合は、バック前の横回転のレシーブとフォア前のレシーブの荒さで1−2で負けてしまいました。チャンスを逃した後は無残なもので、それ以後の試合には出してもらえませんでした。その後、たいした進歩もなく8月になってしまいました。練習しても強くなれない、リーグ戦は近づく、愛教大の2年は強くなるなどで、全くいやになってしまいました。こんな弱いままに幹部を引き継ぐのか、自分ながら情けありませんでした。こう思っている時に、諏訪の合宿、全国国公立と有り益々卓球がいやになりました。この調子ではリーグ戦には出れないと思っているうちに学内リーグに入ってしまいました。ところが天の助けがあったのか多田さんに勝ってしまい、またリーグ戦に出れることになりました。今から思えばこのことが無ければ今ごろは卓球部をやめていたかもしれません。出れるとなれば今度こそリーグ戦で勝ちたいと思いひたすらフットワークとショート打ちをやりました。自分の卓球から見てもこれが最善の練習法だと思ったからです。また卓球ニッポンに書かれていたボールに対するラケットの角度を読んでから迷うこと無しにラケットを振り切ることが出来るようになりました。こうしてリーグ戦に入ったのです。このリーグ戦は自分にとって非常に重要な試合であることを肌で感じた。名院戦で初めて勝ってベンチに帰った時は本当に嬉しかった。このリーグ戦では3試合に出て3勝することができた。1年の時は、上で応援していたことを思い出すと全く信じられませんでした。入れ替え戦では自分は負けてがチームは勝つことが出来、二部に昇格できた。僕はホッとした。
 今、僕はキャプテンです。二部に残れるか否かは僕が強く成るか成れないかに懸かっている。僕が強く成るには、ショート、スマッシュ、レシーブを強化し鈴木さんに勝つことだと信じています。

 最後に今の気持ちを込めて長歌一首

 年かへり たとひ泣くとも
 笑ふとも 残されぬる日
 あと四月 わづかに四月と
 いふべきか 四月もありとは
 いふべきか 人やりならぬ
 我が思ひ とまれかうまれ
 猪突猛進 とかして玉砕するならば
 二部安泰 夢にあらざるべし






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