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1982年 「二部昇格バンザイ!!」(当時M3)  鈴木 均(M59)

 1982年8月31日。この日は僕にとって、いや卓球部員全員にとって生涯忘れられない日となることだろう。今もあの時の興奮が醒めないままだ。

 僕があの卓球場の重い扉を開けてから、はや3年という時間が過ぎようとしている。一年生のうちは、何もわからないうちに過ぎた。ただ高校のときとはちがうリーグ戦のただならぬ雰囲気に浸り、漠然と驚いていた。そして、こんなところで試合できるなんて!と夢ごこちで、うれしさをかみしめていたものだった。とにかく楽しくのびのびとやっていたように思う。

 しかし、そんなうきうき気分の僕に、秋のOB会は衝撃的なものだった。OBの方々の芸達者なことのみならず、今なお消えないリーグ戦にかける熱意に驚かされた。高校のOBである自分自身を顧みた場合どうだろうか。果たして後輩の活躍を心から望んだことがあるだろうか、自分のことのように。先輩たちは本当に自分自身が戦っているように悩み、激励し、目を輝かせて話してくれた。感動した。新鮮なものだった。と同時にみなぎる力を感じた。僕は卓球というちっぽけなことだけをやっているのではないのだ。人格ある先輩たちが長年に渡り築き上げたものを表現しているのだ。リーグ戦に対するイメージがお祭り騒ぎから、一挙一動がOBの方々に見られているような重々しいものへと変わった。リーグ戦前に必ず来られる米川さん、紀藤さん、夏目さん、神谷さん、また手紙で励ましてくれる先輩たちに対するありがたさも増した。それから春まで自分としてはかなり練習をやった。三年間のうちで一番練習をしたのはこの時期だったと思う。

 しかし、その結果は涙だけだった。二年の春リーグ戦の最終日のミーティングの際、コンクリートの上で正座をしながら、あふれてくる涙をどうしても止めることはできなかった。おまえはやるだけやったから素直に泣けたんだ、と言ってくれる人がいた。うれしい解釈だがそれは違う。とにかく悔しかった。1年間やってきて何も伸びていない自分に腹が立ってしかたがなかったのだ。これが本音だった。自分が情けなかった。恥ずかしい一面をみんなに見せた後、決心したことがあった。とにかくやるだけやってやろう、そして結果はどうであれ笑顔で迎えてやろうと。

 しかし、今度こそ、来季こそと気持ちはつのるばかりだった。そして迎えた春季リーグ戦、僕が主将になって初めてのリーグ戦……。まったく不調だった。ムードメーカになるべき自分がなんたることだ。僕の一番力を注いだ点は、準レギュラー陣の戦力アップだった。結局、準レギュラーの活躍すら見れずに春の幕を閉じることになった。

 それから各自、自由にやらせることにした。そして僕も自分の卓球に集中した。そうすることができたのも、一致団結のチームワークだけは、絶対の自信があったからだ。

 不思議なもので伸ばそう伸ばそうと躍起になっている時はカラ回りでむしろ開き直りの境地の時、みんながグンと伸びてくれた。夏に花開いた加藤、技術に気持ちが加わった小島、みんなを盛り上げてくれた清文、レギュラーに伯仲してきた谷倉、実践で実力をつけてきた服部などなど。

 こうして迎えた秋季リーグ戦、最後の昇格のチャンスだ。愛教大に負け、三つ巴ながらも優勝できた。

 やっと念願の入れ替え戦がきた。相手は岐大である。苦しい試合だった。トップで宇田選手とあたり僕は力なく負けてしまった。そして2番手の加藤がジリジリっと点差が開いていくのを見ながら弱気になりかけていた。そんな時広部さんに「下を向くな」ときびしく言われた。なんて弱い人間だ。あの決心をまた破ろうとしている。結果を最後まで堂々と受け止めなければ。それからどんな状態でも加藤を信じ目をそらさずに見ていた。0−2となったが丹羽さんがふんばり、僕も気持ちに踏ん張りがつき、ダブルスを取り4−3で辛くも勝った。

 うれしかった。本当に嬉しかった。胴上げされている時は死んでもいいと思った。そして広部さんの涙を見た時、1年のOB会で受けた時と同じ新鮮な印象をもった。ふと長岡さんの顔が浮かんだ。そしてみんなの顔が……。俺たちはとうとうやったんだ。バンザイ!!成就した日、ペントハウスで人目もはばからず「ヨシヨシ」と大声で叫んだことは決して忘れないだろう。みんなあっての自分だと意識し、また自分がその仲間の一員であることに誇りを持てると確信した。


本当にあの秋で2部に上がって良かったですよ。