■ | 1983年「蒼き青春」(当時K3) 小島 晃(K60) |
あることに”熱中している時”というのは実にいい。それに充実していると思う。それはある期間何かをやっているとか、打ち込んでいるとかそういうことだけではなく、むしろほんの数分、数秒といったような短い間のことのほうがこの熱中している時にあてはまる。 卓球をしている時でもそうだ。ラリー中というのは、ただボールのみを追いつづけていて雑念などない。ボール1個に集中している。トレーニングのランニングにしても、競争の時というのは相手に抜かれまいと思いながら一生懸命走る。苦しいけど、何とかゴールまで走ろうと夢中で走る。この時、苦しさ以外何も無いとしたらそれは熱中している証拠である。 この熱中度というのが高ければたかいほど、楽しさ苦しさ関係なくこの熱中している時が終わった瞬間思わず”いいなァ”と声を出して言いたくなってしまう。だから、こういう時つまり熱中する時というのをできるだけ多く持ってほしいと思う。 仲間や集団で熱中できるのは今が、学生時代が一番多いと思う。そしてそこから得たものは一生自分に残るだろう。でもいつかはこうした仲間とも別れなければならない時が来る。そして、何か機会があってこうした仲間と、友と数年後、数十年後であった時は、実に、本当に、格別にうれしい。 |
今から振り返ってみても、学生時代に熱中できたものがあるのは、良かったと思います。学生時代にはそれだけの時間とエネルギーがありました。 |