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1985年 「我母校 名古屋工業大学」(当時F4)  服部 智(F61)

 本当に月日の移り変わりは早いもので、もう4年で卒業を数ヵ月後に未定(単位がまだ人文・社会で3教科6単位も未取得)している。

 さて、この4年間の学生生活で様々なことがあったが卓球部に入って本当に良かったと実感している。これはもちろん、名工大史上初の1部昇格がすべてに思えるがそれだけではない。僕が入部して以来、他校を含めての先輩後輩同輩に、非常に多くのことを教えてもらったことに感謝しているからである。

 1年の当時は3部で鈴木主将の下で2部昇格へ一丸となり、秋リーグでは幸運にも名工大は2部昇格を果たせた。入れ替え戦後のミーティングでベンチコーチの広部さんの涙をみた時、リーグ戦とはいかなるものかよくわかった。

 僕も主将を1年間引き継いだが、1年の時加藤さんが主将になられてから僕の番になる間の1年間、計画を練った。卓球面で言えば、名工大の卓球はどこが弱いかを考え、今では普通に練習している強打対強打やロビング打ちを組み込んだ。部員の卓球部に対する考え方を問う為に日誌を作ったり、定例のコンパの進行やOBの方への挨拶面、リーグ戦合宿の時はトレーニング量を減らしたり、スキーツアー、そしていかにして新入生がやめていかないかを考えて4月5月は大変だった。

 僕がたまに教養回りを「競争で2周」というと曽田や白田が怒って「なら3周」と変更した時もあったし、幹部引退してからも曽田に「服部はもっと練習に出てこなあかん!」とみんなの前で言われた。卓球の実力に関係なく同輩の3人から注意されたことが2部を維持し、現在の1部へとつながっている。

 この4年間で僕は優勝を3度経験している。1年で3部優勝、3年主将の時は東海国立優勝、4年で2部優勝の3度。過去の歴史を振り返ってもこのような時期は見当たらない。僕をはさんだ2年前後の先輩後輩が強くまた対外的にも運があったからだろう。田中の全国公立シングル2位、康晴のベスト16を聞いて、僕を含めた3人でダブルスをいれて4本全部取るつもりで練習した。結局入れ替え戦も含めて3人で21勝1敗で、3人以外では3本しか取っていない。2日目、決定戦の愛大戦でトップの田中が負けた瞬間、がけっぷちまで追い詰められたが6番須藤が価千金の”優勝の1勝”を上げたのは大きかった。

 今年リーグ戦でシングルスは無敗だったが、僕の場合精神面の充実が要因の1つだろう。どう考えても出れるチャンスはあと数回。どうせやるなら全力でやろう!おろそかにしたら、取った点でももったいない。そう考え、苦戦している時はタオルを取って「俺は今まで何のためにここまでやってきたんだ?」「優勝の為ではないのか!」と自分に言い聞かせる。バックにナックルで甘いボールが浮いたら、なんでもいい前へ押すボールを打てばええ。相手に多少コースが読まれてもそれを吹き飛ばすんだという気概で向かう。どうせやるなら熱くやろうと思ったことが良い結果につながっている。

 僕のライバルは他校ではなく名工大の田中と康晴であり、後輩に負けた1人目と2人目が彼らであるが、今年は本当に強かった。中学・高校・大学で初めて強き後輩に恵まれた。1部で彼ら2人と今よりずっと強くなっているメンバー3人と僕とでやってみたかった、本当に。

 8度のリーグ戦を主体として4年間を振り返ってみたい。もしクラブをやらずにバイト生活を主体にしていればかっこいい車が買え、パソコンが買え、女をいっぱい買えたかもしれない。我々がその気になりさえすれば常識的範囲のものはほとんどいつか買うことができるが、卓球部における勝利は名工大生の今しかない。俺たちはいったいなんのために真っ暗で寒い中、ランニングをすれば手は赤くなりノドは痛い、腹筋をやればおしりの皮をむいて血が出たり、そんなおもいをしてまでトレーニングをやるのか?僕の場合、1部昇格であり、最終的に自分のためであった。

 4年間で名大に公式戦で1度だけ勝てたのが特に嬉しい。名大を落とすのは名工大だと思っていたのが実現できず残念である。名大の大応援団の声援にも負けず10数名の名工大の精鋭が撃破するのを期待している。今後の名工大卓球部、よろしく頼む。