■ | 1985年 「リーグ戦」(当時F2) 須藤起久夫(F01) |
去年、つまり自分が1年の時、自分はリーグ戦のベンチに入ることができなかった。大いに残念だった。特に自分の場合は自分のゼッケンをつけた同期の某選手がベンチにいる、という屈辱さえあった。つまり自分はリーグ戦合宿前の学内リーグの結果、ベンチ入りメンバーとして登録されていたのに、それなのに最後の選手を決定する学内リーグで同期の某選手に惜敗し、彼にゼッケンを奪われてしまったのだ。この屈辱を胸に半年練習を重ねた自分は今年の春の学内リーグでは伸び悩む同期の某選手を軽く倒し、ベンチ入りを果たしたのであったった!!。 さらには秋の学内リーグでは練習不足の4年生2人を倒し、ついにレギュラーの座を手にしたのであっるっる!!。(もちろん自分のレギュラー入りは誰もが予期し得ないところで、この事件を知った大塚監督の目は点になったという。)この学内リーグでは自分の他に柴田幸宏と高井の2人が初のリーグ戦レギュラーの座をつかんだ。(この天災を知った大塚監督のアゴの筋肉は使い古されたパンツのゴムと化したという。) かくして名工大は服部さん、田中主将、柴田康晴の卓球の天才3人と卓球部の天災3人というレギュラーで2部優勝を目指し愛知県体育館へ乗り込んで行った。従って名工大の勝ちパターンは天災3人をあて駒に天才3人とダブルスで勝つという絶えず断崖に立たされた厳しさだ。天災3人は期待できないので天才3人は絶対負けられない。 ところが愛大戦で田中主将が不覚をとってしまった。(ダッセー)(くちゃくちゃやべー)(よわった)誰もがそう思っただろう。康晴、ダブルスと勝ち、自分と青島選手との試合がまわって来た。1セット目、実力の差を見せつけ、負けた。となりで服部さんが試合をしているのにみんな服部さんは勝つだろうと自分の方に応援しにきていた。絶対勝たないかんと思った。2セット目、必死こいてただ康晴の言う通りやってやっとこ勝った。となりでは服部さんが例によって3セットで勝ち、高井がペンペンにやられている。絶対勝つしかなかった。 3セット目、佐藤さんと「ヨシ!ヨシ!」のどなり合いをしながら勝ってしまった。自分の試合を見ていなかった大塚さんに「ナイスゲーム!」と言われた。あとでみんなにめちゃめちゃ栄誉をたたえられた。「まぐれですよ。」と言いながらもほくそえみの止まらない自分がみとも恥ずかしかった。なぜ実力で劣る自分が勝てたか。やはりリーグ戦は応援と根性が大きく勝負を左右する。もし服部さんで勝ちの決まる試合だったら自分は負けていただろう。佐藤さんが2階から1人で応援してくれなかったら負けていただろう。集中しすぎてめちゃくちゃにいろんなことを考えまくっている自分にベンチからのアドバイスがなかったら負けていただろう。リーグ戦においては応援や根性も実力の1つと言っていいかもしれない。あの試合の感覚を忘れずにこれからの試合をしていきたい。 |
須藤選手の1勝は、まさに「2部優勝の1勝」として、当時の面々には一生消えないものでしょう。 |