卓球に初めて興味を持ったのが中2の秋。テレビで卓球の試合(いったいどんな大会かは忘れてしまった)を見た時である。あの小野選手が僕の目に映ったのだ。あの左腕から出される強烈なドライブ、卓球台から数m離れても入ってしまうのだった。かくして中2の一青年は卓球部に入ることになったのだが、見るのとやってみるのでは全然違ったのだ。何日間か素振りばかりやらされていたのでフォアなら返せたが、バックへ球が来るともう返せなかったのだ。そしてあまり上達しないうちに中学を卒業し高校へ入ったが、高校では中学時代に県大会や東海大会に出場した人がいたりして、やっと人並みに打てるほどの青年には実力差が大きく、入る気を失くしてしまった。
大学生になった時に、大学では何かサークルにでも入ろうと決心した。しかし誰もが知っている通り、名工大にはほとんどサークルというものは存在しないのである。しかたなくクラブ紹介の本をペラペラめくっていくと13ページ目に卓球部の紹介があった。(この13ページという数字が何故か卓球部の暗さを一層引き立てていたような気がする)。文面には2部優勝、全国国公立Best8、個人準優勝、etcと書かれていた。校内には”東大を破る”などとも書いてあった。こうしたものを見て、青年は再び実力差がありすぎると思いあきらめたのだが、他に入るクラブもなかったので一度のぞいてみることにしたのである。
あれは雨の降る火曜日の6時ごろだったろうか、青年は体育館一階に出向き2階を見上げた。そこでは数人の男が卓球をやっていた。また今度来ようと思ったが雨の日にせっかく見学しに来たのだからと思い2階への階段を上がり、中からピン球の音が聞こえるのを確かめ青年はドアを開けた。ドアは異常に重く、中の様子を隠している厚いカーテンを押しのけやっと薄明るい卓球場へと顔を出したのだった。入ったとたんに、やせた男(柴田康晴さん)が近づいて、”入部希望者?”と聞くのであった。青年は一番奥に二人の私服の学生(新入生)を見てほっとしながらノートに必要事項を書いた。今日はこれで帰ろうと思っていたところへ、彼が少し打っていかないかと言うので、無口な青年はずるずる彼のペースへとはまってしまったのだ。下宿にも慣れず早く帰りたいと思ったが結局8時過ぎまで練習に付きあわされ、ようやく終わった頃、さあ帰れると思うより先に彼はメシを食いに行こうと3人に勧めたのである。こうして結果的にはメシにつられた形で彼の巧みな策略で入部することになったのである。
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